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頂きます。

スタッフのひなです🐣



先日、初めて鹿の解体をしました。



既に内臓を処理した鹿を一日かけて解凍し、いよいよ捌き始めたところからでも半日以上の大仕事。



でもそのもっと前段階は💭

鹿の痕跡を探し、罠を数箇所にかけて、毎日毎日罠を廻りながら、かかってないと日中は罠を閉め、鹿が活動する夜になると罠を開け…をひたすら繰り返し、だいちゃんが一週間かけて捕えてきてくれた一頭。

夜、罠にかかっていた鹿の内臓を処理し切るまでに数時間…




今やスーパーやお店に行けばすぐ手に入れられるお肉。

一週間鹿がかからなくても、私たちはお店で他の食べ物を買って難なく生きていたけれど、“獲る”ことでしか手に入れられなかった昔の人は、この一週間をどう過ごしていたのかな。



餓死しちゃったりしなかったのかな。

他の食べ物を必死に探していたのかな。

次いつ獲れるか分からない貴重な食べ物を出来るだけ長持ちさせられるように、色んな保存方法が生まれたのかな。

きっと、やっと手に入った貴重な食べ物、物凄く大事に大切に丁寧に頂いていたんだろうな。




そんなことを考えていたら、だいちゃんが

「またねに来る子どもたちは、この捌いてる鹿、怖くて見れないって子がいないんだよ。なんでか分かる?」と。

ひ「うーん。捌いてから最後食べるまでの過程を、自分たちの手でやるからかなぁ。」

だ「それもあると思うけど、昔の人にとっては、きっとこれって祭りになるほど有り難くて嬉しいことだったからだよ。『これでまた家族がみんな生き延びられる!』そう思うと嬉しくない?」



…たしかに!やっと、ようやく獲れた一頭。可哀想とか怖いよりも、『これで明日も生きられる!』って、安心して嬉しくて有難いことだったのか!




そうやって昔の人たちは、毎日毎日必死に命を紡いで生き延びてきて、自分たちの命と目の前の命と向き合ってきたんだろうなぁ、としみじみ感じていたと同時に、

この鹿も同じように毎日必死に命を紡いで生きてきたんだろうな、と。




自分の中で、『昔の人の命』『鹿の命』『自分の命』『私の周りに生きている人やモノの命』『私が日々頂いている命』いろんな命が交差して、なんとも言い表せない感情になったけれど、



なんだか、生きるってすごい。

生きていくことって、命を紡いでいくことって、本当は物凄く大変で、物凄くエネルギーが要ることで、物凄くキラキラギラギラした情熱的なことなんだ。





生きることって、命を頂くこと。

生きることって、エネルギーを目一杯何かに注ぐこと。

生きることって、能動的になること。


そんな気づきが自分の中でありました。




こうして時間をかけてやっと頂くことができる一頭の命。

柔らかく、しなやかで美しい毛皮は、革職人であるスタッフの天太に。

お肉は、3日間かけて水分を丁寧に取り熟成させて、私たち人間とすずちゃんのご飯に。

それでも残ってしまったお肉と骨は、森の動物たちのご飯に。



一頭の鹿で、どこかで誰かが笑顔になり、私たちや動物たちの血となり肉となり、私たちが明日もまた生きられる糧となります。




この鹿が一生懸命生きてきた証である大切な身体を、形を変えて、可能な限り活かしていくことは、命を頂く側の指名なんだと感じます。



私も、昔の人や鹿さんと同じ、生きることに真っ直ぐでいたい。




鹿さん。だいちゃん。

たくさんの気づきをありがとうございます。🪽



頂きます。



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